ひらいて、みせて
062:それはとても濁った
夜は冷えるのに体がひどく熱かった。ずぬりと分離する体は冷気で領域を明らかにする。熱くとろけて曖昧だった体が形を取り戻す。寝乱れた布団の上で四肢を投げ出す。天井の照明は消えている。欄間だか長押だか判らないが透かし彫りらしいそれはひどく古風で日本的だ。軍属でありながら武道の道場にも籍を置き教鞭をふるう。お師匠さんと揶揄混じりの言葉を藤堂は否定も咎めもしない。卜部はぼうと隣で蠢く裸身を眺めた。暗いから明瞭に細部まで見えるわけではない。触れれば裂傷や銃創のある体なのに、姿勢はいいから見映えがする。丈に見合うだけの体付きで線も細くない。藤堂の戦闘力に見合うだけの体躯だ。
浅からぬ縁がある上下関係だ。藤堂のもとに集まった中で出来の良いのが四人集まっていつしか四聖剣などと別称で呼ばれた。卜部などはその中でも目立たぬ方だと思う。丈はあるが特徴はそのくらいだ。印象として薄い。加えて卜部自身も前に押し出ていく性質ではないから拍車もかかった。痩せた長躯で飄然としているから見くびられて諍いを吹っ掛けられることもある。もれなく返り討ちにする。組み易しとみられるのだ。傲慢と露骨に手加減しない卜部に藤堂は嘆息した。その藤堂が何故だか閨に卜部を呼ぶ。欲望を刺激する要素はないと思うのに、藤堂は私邸に招いてまで卜部との閨を望んだ。藤堂自身は精悍だがどこか艶っぽい男だ。短い鳶色の髪や灼けた肌。凛とした眉筋や切れ上がる眦。口元はきちんと閉じていることが多く能弁な性質ではない。戦闘力は折り紙付き。そんな綺麗なものがどうして卜部に拘泥するのか判らない。
裸身を投げ出したままの卜部を一瞥した藤堂が浅く嘆息した。
「だらしがない」
子供を相手にしている時間や経験がある所為か藤堂の物言いはどうも言いつけるような口調になる。だからと言って怯んだり縮こまったりはしないのだが。卜部はそこまで育ちが良くない。長いものには巻かれるし多数決にも従う。だが意見は出すより聞く方が多いくらいだ。不満はない。
「体を拭いて――」
動きだしそうな藤堂を止める。いいですって。熱い蜜で濡れそぼった場所はひんやりと冷えている。卜部は軋む体を起こした。藤堂が無理はするなという。
「無理じゃねェけど…だったらあんたも加減しろよ」
ぐるぅと藤堂の喉が鳴った。言葉に詰まると猫のように喉が鳴る。性質から言って吐き出すより呑み込む方なのだ。冗談ですって。流せよ。他の面子がいれば言葉遣いにも気を遣うが二人きりになれば砕ける。そも、腹の中までさらす相手に取り繕うのが馬鹿馬鹿しかった。藤堂も嫌がらなかった。
卜部は脱がされた衣服に袖を通しながらそれ以上のことが気怠い。
「なァ、あんたなんで俺と犯るんだよ」
藤堂がきょとんとした気配がする。夜の艶の中で灰蒼の双眸が煌めいている気がした。好きだからとかほざくなよ。そうだな。もう双方が恋に恋するような年齢ではない。感情と行為が連動しない場合があるのも知っている。だからと言って卜部が藤堂を嫌っているというわけでもない。少なからず世話になっているし感謝している。尊敬もしている。それだけに自分が並であることも判っている。出来が良いというなら女傑の千葉や人生経験のある仙波、朝比奈などは天才剣士と鳴り物入りである。卜部でなければならない理由ではない。
「興味があった」
藤堂は淀みなく応える。お前の太刀筋はなりに合わずに豪快だ。何というか、野戦向きとでもいうのか。試合と実戦で強さの程度がお前は違うから。馬鹿にしてンの? 褒めているつもりだが。お前の戦い方は面白い。ルール無用で構わないといったそれを実践できるのは強みでもあるだろう。立ちあって剣だけではなく足が出るのを躊躇わないのが面白い。朝比奈などは足癖が悪いだけだと言っていたが。卜部が微妙に表情を攣らせる。野郎…。この場に居ない人間に何ともしようもないのだが。
「だからお前のことを知りたいと思った」
習慣の浸透は案外根深いからな。試合慣れしているとルール無用だと言われても対応できぬものも多いだろう。そこですぐに剣だけではなく蹴りまで使うのが目を引いた。野蛮ですいませんねえ。悪いとは言ってない。対応や適応の問題だ。だから。
「お前を試してみたくなった」
というのが表向きの理由だな。表向きかよ。藤堂の吐息に笑みがにじんでいる。お前は存外に冷静な性質だ。だから少しかき乱してみたかった。
「応えてくれるとは思わなかった」
お前の鎧うものを剥いで、その中身が見たかった
「大したもんじゃねぇでしょうに」
あんたみたいに綺麗じゃねぇんですよ俺は。私とて綺麗ではないが。汚い真似もするぞ? そういうこと言う奴ほど綺麗な事しかしてねえですよ。
「なかなかに経験のありそうな口を利く」
ふんと卜部が息をつく。俺が実戦慣れしてるってあんたが言ったんでしょう。
「綺麗なのは戦闘じゃなくて試合って言うんですよ」
不意に伸ばされた藤堂の指先が卜部の唇に触れる。
「頼りにしている」
「そうやって無防備に背中預けるのがあんたが綺麗な理由だよ」
ぺろ、と指先を舐めると藤堂が濡れた指をさらに押し付ける。卜部は藤堂の好きなように体や顔を触らせる。ひとしきり触れてから藤堂が立ち上がる。風呂を立てよう。中佐。
「俺の中身なんてただの濁った水みてぇなもんですよ」
「私も似たようなものだ」
夜闇の昏さの中で藤堂は障りもなく動いた。夜目が利くのだろうかとその背中を探り見る。猫みたいな人だな。卜部はずるずると頽れるように寝そべった。情事にしけった敷布はしっとりと肌に吸い付く。
《了》